ピーマンは比較的育てやすい野菜だと聞いていたので、夏になれば自然と実が増えていくものだと、どこかで安心していました。
ところがある年、花は咲くのに実がほとんどつかない週が続き、落ちた花を見つけるたびに、何かを間違えているのではないかと考えるようになりました。
水やりも極端ではなく、肥料も説明どおりに与えているつもりだったので、原因が見えないことが余計に不安を大きくしていました。
そのうち庭に出るたびにピーマンの株ばかりを探すようになり、楽しさより確認の時間になっていたことに気づきました。
毎日触って確かめるのをやめた
実がつかない理由を知りたくて、ほぼ毎日のように葉の裏を確認し、花の様子を数え、指で軽く触れて状態を確かめるようになっていました。
頻繁に触れることで管理している気持ちにはなりますが、株の状態が良くなるわけではなく、むしろ不安だけが増えていきました。
毎日見なければ何かが起きるのではという焦りが強くなり、庭時間そのものが落ち着かなくなっていました。
そこで思い切って、週末だけ観察する形に戻し、必要以上に触れないようにしてみました。
💡POINT
不安からの頻繁な確認は、安心よりも焦りを増やすことがあります。
足りないと思って肥料を足すのをやめた
実がならない原因を栄養不足だと決めつけ、追肥の間隔を短くし、説明書より少し多めに与えてしまったことがありました。
葉は勢いよく茂り、見た目は元気そうに見えましたが、肝心の実は増えず、むしろバランスが崩れているようにも感じました。
何かを足せば解決するという発想が先にあり、様子を見る時間を持てていなかったのだと後から思いました。
追肥を一度止めてみると、焦って手を入れ続けていた自分の姿が少し見えた気がしました。
💡POINT
何かを足す前に、いったん止めることで見えることがあります。
他の野菜と比べるのをやめた
隣のトマトは順調に色づき、ナスも安定して実をつけていたため、ピーマンだけが遅れているように見えていました。
同じ庭で育てているのだから同じように育つはずだと、無意識に基準を揃えていたのだと思います。
比べるたびに、遅れている部分ばかりが強調され、焦りが大きくなっていました。
品種も性質も違うのだから歩幅も違うのだと考え直すことで、少しずつ気持ちは静かになりました。
💡POINT
比べる対象を減らすだけで、評価の基準はやわらぎます。
すぐに原因をひとつに決めるのをやめた
暑さのせいか、水分の問題か、受粉がうまくいっていないのかと、原因を早く特定しようとしていました。
正解を見つけないと落ち着かない気持ちがあり、どれかひとつに当てはめて安心しようとしていました。
でも自然は単純ではなく、複数の要因が重なっていることもあると頭ではわかっていました。
急いで答えを決めつけるのをやめると、視野が少し広がったように感じました。
💡POINT
原因を急ぎすぎると、見えているものも見えなくなります。
実だけを評価基準にするのをやめた
実がならないという一点だけで、その株全体を失敗のように感じていた時期がありました。
しかし改めて見ると、葉は濃い緑で艶があり、茎もしっかりしていて、決して弱っているわけではありませんでした。
花が咲いているという事実も、本来は前向きな変化のはずでした。
実だけで判断するのをやめると、株の全体像が見えるようになりました。
💡POINT
一部分で評価すると、全体の良さを見失いやすくなります。
一気に取り戻そうとするのをやめた
実がならない期間が続くと、どこかで挽回しようとする気持ちが強くなり、剪定や水やりの方法を一度に変えたくなります。
複数の対策を同時に試すと、その場では動いている実感がありますが、結果の理由はわからなくなります。
変化を急ぎすぎると、観察より操作が増えてしまいます。
少しずつ様子を見る形に戻すことで、庭時間は再び落ち着きを取り戻しました。
💡POINT
一度に変えすぎると、変化の意味が見えなくなります。
やめたことで残った感覚
やめることを増やしてから、ピーマンを見るときの気持ちが少しやわらぎました。
実が増えるかどうかだけではなく、育っている過程そのものを見る余裕が戻ってきました。
数週間後、小さな実がひとつついたとき、以前ほど劇的ではありませんでしたが、それで十分だと思えました。
足すことよりやめることが、自分の焦りを整えてくれたのだと今は感じています。
💡POINT
足す前にやめることで、庭との距離は静かに整います。


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