キュウリを育てていて、一番判断に迷ったのが水やりと肥料でした。足りない気もするし、与えすぎも怖い。どちらを選んでも、しばらく不安が残る感覚がありました。
水や肥料は、やったかどうかがはっきり残る作業です。その分、間違えた気がすると気持ちの切り替えが難しく、育て方より判断の重さを感じる場面が多くありました。
この記事では、正しい頻度や量を教えるのではなく、水やりと肥料について、どんなところで迷い、どう距離を取り直してきたかを、そのまま書いています。
水やりが気になり始めた最初の頃
植え付け直後のキュウリは、特に水やりが気になりました。土の表面が少し乾いているように見えると、すぐに水をあげたくなります。
乾かしてはいけないという気持ちが強く、毎日様子を見ては、水が足りているかどうかを考えていました。ただ、見た目だけでは判断できず、不安だけが残ります。
水をあげたあとも、本当に必要だったのか分からず、正解が見えない作業だと感じ始めました。
💡POINT
水やりは「やらなかった不安」より「やったあとの後悔」が残りやすい。
毎日あげなくてもいいと分かってからの迷い
頭では、毎日水をあげなくても大丈夫だと分かっていました。それでも、実際に間隔を空けるのは不安でした。
何もしない日が続くと、放置しているような気持ちになります。特に天気が良い日は、乾いている気がして、様子を見に行く回数が増えました。
知識として理解していることと、実際に我慢できるかどうかは別だと感じました。
💡POINT
知識で分かっていても、何もしない判断は意外と難しい。
水やりの量で悩み続けた時期
水をあげるときも、どれくらいが適量なのか分かりませんでした。たっぷり与えた方がいいという話もあれば、控えめがいいという話もあります。
少なすぎたかもしれない、多すぎたかもしれない。そのどちらの不安も残り、水やりが安心のための作業ではなく、判断を振り返る作業になっていました。
この頃は、水やりのたびに正解を探していた気がします。
💡POINT
水やりの量は、正解を探すほど判断が重くなりやすい。
肥料のことを考え始めたタイミング
キュウリが伸び始めると、肥料のことが気になり始めました。与えた方がいいのか、まだ早いのか、判断できる材料が少なく感じます。
肥料は、水やり以上に結果が後から出る印象がありました。その分、失敗したら取り返しがつかないような気がして、慎重になりすぎました。
与えない不安と、与えすぎる不安が同時にあり、なかなか踏み切れませんでした。
💡POINT
肥料は「必要かどうか」より「結果が怖い」と感じやすい。
肥料を控えめにした理由
最初は、肥料を積極的に使うことに抵抗がありました。成長を促したい気持ちより、バランスを崩したくない気持ちの方が強かったからです。
結果として、少なめに与える選択を続けました。劇的な変化はありませんでしたが、大きなトラブルも起きませんでした。
この経験から、肥料は効かせるためのものというより、様子を見ながら使う補助のように感じるようになりました。
💡POINT
肥料は「効かせる」より「崩さない」意識の方が気持ちは安定しやすい。
水やりと肥料を同時に考えすぎた話
水やりと肥料を一緒に考えると、判断がさらに難しくなりました。元気がない原因が、水なのか肥料なのか分からなくなります。
両方を同時に調整しようとすると、結果が見えなくなり、迷いが増えました。どちらか一方だけを見るようにしたことで、気持ちは少し整理されました。
💡POINT
複数の要素を同時に動かすと、判断の軸がぶれやすい。
夏の水やりで感じた別の不安
夏になると、水やりの判断はさらに難しくなりました。暑い日は特に、乾燥しているように見え、水が足りないのではと不安になります。
ただ、水を増やしたからといって安心できるわけではありませんでした。むしろ、与えすぎたかもしれないという別の不安が生まれました。
この頃から、水やりの回数より、変えすぎないことを意識するようになりました。
💡POINT
暑い時期ほど、水やりは「増やす判断」が不安を生みやすい。
水やりと肥料を振り返って
一年を通して振り返ると、水やりも肥料も、正しい量を当てる作業ではありませんでした。状況を見ながら、極端にならないよう調整する感覚に近いものでした。
与えすぎないこと、変えすぎないことを意識したことで、キュウリとの距離感は少し安定しました。水や肥料は、管理のための作業というより、関係を整えるための手段だったように思います。
💡POINT
水やりと肥料は「正解を当てる作業」ではなく「揺れを小さくする調整」。


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