キュウリを育てていて、病気や害虫に気づいた瞬間は、それまで積み重ねてきた時間が一気に崩れるような感覚がありました。葉の色が少し違うだけで、急に全部がうまくいっていない気がして、気持ちが落ち着かなくなります。
水やりや支柱のように調整できる作業と違い、病気や害虫は原因がはっきりしないまま進むことが多く、どう関わればいいのか分からなくなりました。
この記事では、確実な対処法や完全な防除方法をまとめるのではなく、異変に気づいたときにどんな迷いが生まれ、どう距離を取り直してきたかを、時間の流れごとに振り返っています。
葉の違和感に最初に気づいたとき
最初の異変は、とても小さなものでした。葉の色が少し薄いような気がする、形がいつもと違う気がする。その程度の違和感です。
ただ、一度気になり始めると、見るたびに違和感が大きく見えてきます。前日は気にならなかった部分が、今日ははっきりおかしく見えるようになります。
病気なのか、単なる天候の影響なのか、その判断がつかず、しばらく様子を見ることにしましたが、何もしない時間が不安を増やしていきました。
💡POINT
病気の初期は「症状」より「気になり始めた気持ち」の方が先に大きくなる。
病名を特定しようとして疲れた話
葉の状態を調べ始めると、似た症状がいくつも見つかりました。どれも当てはまりそうで、どれも決め手に欠けます。
正確な病名を知らないと対処できない気がして、画像や説明を見比べましたが、見るほど判断が難しくなりました。
調べている時間は長いのに、何かできた感覚はなく、ただ不安だけが積み重なっていきました。
💡POINT
病名を当てることに集中しすぎると、行動できない時間が長くなりやすい。
病気かどうか判断できなかった数日間
はっきりとした症状が出ないまま、数日が過ぎました。広がっているようにも見えるし、止まっているようにも見えます。
この時期は、何かしなければという気持ちと、余計なことはしたくないという気持ちが常にぶつかっていました。
結局、大きな変化がない限り触らない選択を続けましたが、その判断が正しかったのかは、今でも断言できません。
💡POINT
判断できない期間は「何もしない」ことも、ひとつの関わり方になる。
害虫に気づいた瞬間の戸惑い
葉の裏を見て、小さな虫に気づいたときは、病気よりも強い衝撃がありました。目に見える存在だけに、すぐに対処しなければという気持ちが強くなります。
ただ、どの虫がどれくらいいると問題なのか分からず、少し見つけただけで過剰に反応していました。
数を把握しようとするほど、葉の裏ばかり気になり、落ち着かない状態が続きました。
💡POINT
害虫は「見えた瞬間」に気持ちが一気に傾きやすい。
対策を急ぎすぎた反省
害虫を見つけた直後は、すぐに何かしなければと思い、対策方法を探しました。薬剤、手で取る方法、自然に任せる考え方など、選択肢が多く迷います。
焦って選んだ対策が、本当に必要だったのかは、あとから分からなくなりました。結果が出る前に次の対策を考え、気持ちだけが先に動いていました。
この頃は、落ち着くために対策していたはずが、逆に不安を増やしていた気がします。
💡POINT
害虫対策は、早さより「落ち着いて選べたか」が後から効いてくる。
全部を防ごうとしなかった理由
病気も害虫も、完全に防ごうとすると、家庭菜園が一気に重くなりました。常に監視している感覚になり、楽しさより緊張感が勝ってしまいます。
ある程度は起きるものとして受け入れ、広がりすぎないかだけを見るようにしてから、気持ちは少し楽になりました。
全部を止めるより、付き合い方を整える方が、自分には合っていました。
💡POINT
病気や害虫を「ゼロにする」より「広がりすぎないかを見る」方が続けやすい。
手を入れすぎなかったことで見えたこと
強い対策をしなかったことで、キュウリの見た目は少し不揃いになりました。ただ、その分、毎日の確認に追われることは減りました。
気になる部分は残りつつも、全体としては育ち続けてくれました。問題を完全に解決しなくても、関係を続けることはできました。
見た目より、気持ちの余裕を残す方が大事だと感じました。
💡POINT
対策しすぎないことで、家庭菜園との距離が保たれることもある。
病気と害虫を振り返って
一年を通して振り返ると、病気や害虫は避けるべき敵というより、関わり方を見直すきっかけでした。起きたことより、その後どう向き合ったかの方が強く残っています。
正しい対策を当てることより、気持ちが追い込まれすぎないことを優先したことで、家庭菜園を続けやすくなりました。
完全に防げなくても、付き合い方は毎回更新できます。それで十分だと思えるようになりました。
💡POINT
病気や害虫対策は「完璧に防ぐ技術」ではなく「気持ちを追い込みすぎない工夫」。


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