庭に出たのに何もしなかった日もある

庭づくり・ライフスタイル

庭に出るとき、これまでは必ず何かを終わらせるつもりで外に出ていました。草を抜く、支柱を直す、水やりをする、何か手を動かさなければ庭時間とは言えないと思い込んでいました。

出たのに何もしないという選択肢はほとんどありませんでした。整えなければいけない場所が目に入ると、見て見ぬふりができなかったからです。

でもある日、手袋も道具も持たずに庭に立ちました。その日はなぜか、作業をする気力が湧かなかったのです。

💡POINT
庭に出る理由が作業だけだと、疲れている日は遠ざかりやすくなります。

動けなかった自分に戸惑った

その日は仕事が立て込んでいて、頭の中が落ち着きませんでした。とりあえず外の空気を吸いたいだけで、整える余裕はありませんでした。

草は伸び、プランターの土も少し乾いているように見えました。本来なら手をつけるべき状況だったと思います。

それでもしゃがむ気になれず、立ったまま庭を眺めていました。何もしない自分が怠けているように感じられました。

「せっかく出たのに」という声が頭の中で響きます。少しでも抜けばいいのにと、自分を急かしていました。

それでも身体は動きませんでした。疲れているときに無理をすると、その反動がくることをこれまでの経験で知っていたからです。

💡POINT
動けない日は怠けではなく、これ以上無理をしないための合図かもしれません。

見るだけで気づいた変化

動かずにいると、少しずつ視線が変わってきました。草の多さではなく、葉の色や風の揺れが目に入るようになりました。

ミニトマトの花がひとつ増えていることに気づきました。昨日は意識していなかった変化でした。

キュウリのつるも支柱にしっかり絡んでいました。私が何もしていなくても、植物は自分の速度で進んでいました。

草が増えている事実よりも、育っている事実のほうが強く残りました。整えなければという焦りが少し弱まりました。

庭は私の作業量と同じ速さでしか動かないわけではありませんでした。

💡POINT
手を動かさなくても、観察だけで庭との関係は続いていきます。

作業しない不安と同時にあった安心

何もしないことへの不安は消えませんでした。明日もっと荒れていたらどうしようという気持ちは残っていました。

それでも安心もありました。今この瞬間に無理をしなかったことが、自分にとって正直な選択だったからです。

今日抜かなかった草は明日でも抜けます。そう思えたとき、急ぐ理由が少しだけ薄れました。

完璧に整え続けることより、続けられる形で関わることのほうが大事なのかもしれないと感じました。

💡POINT
整え続けることより、戻れる余白を残すほうが長く続きます。

満足感は成果とは別の場所にあった

帰るとき、意外にも気持ちは落ち着いていました。草はそのままで、支柱も直していません。

それでも庭に立っていた時間が、頭のざわつきを少し静めてくれていました。達成感ではなく、つながっていた感覚が残っていました。

何も終わらせていないのに、庭との関係は途切れていませんでした。無理をしなかったからこそ、また出ようと思えました。

成果がなくても満足できる感覚は、これまであまり知りませんでした。

💡POINT
満足は成果ではなく、無理をしなかった選択から生まれることもあります。

これからの庭時間の基準

あの日以来、庭に出る基準が少し変わりました。整えられなくてもいい日があってもいいと思えるようになりました。

忙しい週や疲れている日は、立って眺めるだけでも十分だと考えています。それでも庭との関係は続いています。

すべてを整え続けなくても、関係は壊れません。むしろ無理をしないほうが、戻りやすいと感じています。

あの日いちばん満足だった理由は、草を抜いたからではありません。庭と切れなかったこと、その事実だけでした。

💡POINT
庭時間は整えた量ではなく、切れなかった距離で考えてもいいのかもしれません。

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