週末の予定が崩れたときの「庭のあきらめ方」

庭づくり・ライフスタイル

週末は庭の時間と決めています。平日はほとんど触れられないからこそ、土日に整えることでバランスを取っていました。

草取りも水やりの調整も、追肥も片付けも、すべて週末にまとめてやる前提で回していました。

だから予定が崩れると、庭のことが急に重くなります。何もできないまま一週間が過ぎることが、どこか怖くなるのです。

数日空いただけで取り返しがつかなくなるような気持ちになり、焦りだけが膨らんでいきます。

でもあるとき、その焦りの正体は庭ではなく、自分の思い込みかもしれないと気づきました。

予定が崩れた週末を何度か経験するうちに、あきらめ方にも形があるのではないかと思い始めました。

予定が崩れた瞬間に広がる不安

急な用事が入ることは珍しくありません。家族の予定が変わることもありますし、単純に体力が足りない日もあります。

庭に出られないとわかった瞬間、草が一気に伸びる映像が頭に浮かびます。水が足りなくなるのではないかと想像が膨らみます。

実際には数日で劇的に変わることは少ないのに、何か大きな失敗をしたような気持ちになります。

庭を優先できなかった自分を、どこかで責めていました。

💡POINT
崩れた事実よりも、崩れたことを許せない気持ちのほうが消耗します。

取り戻そうとするほど苦しくなる

予定が崩れると、夜に少しだけ出ようかと考えます。早起きして取り戻そうとすることもありました。

でも疲れた状態で庭に出ると、作業が義務のように感じます。草を抜いても気持ちは晴れませんでした。

無理に取り戻そうとすると、庭時間そのものが重くなります。

結局どちらも中途半端になり、満足できないまま終わることが続きました。

💡POINT
遅れを取り戻す発想は、庭を「義務」に変えてしまいます。

あきらめると決めるのがいちばん難しい

何もしないと決めることは、思った以上に勇気がいりました。

やらないと決めた瞬間、すべてが崩れていくような感覚になります。

でも一度「今日はやらない」とはっきり決めると、不思議と気持ちは少し整いました。

中途半端に気にし続けるより、やらないと決めたほうが頭は静かでした。

💡POINT
あきらめることは放棄ではなく、気持ちを整える行為でもあります。

最低限だけを見るという選択

ある週から、基準を下げてみました。

水が極端に足りていないか、倒れそうな株がないか、その二つだけを短時間で確認します。

それ以外は次に回します。草取りも整枝も、命に関わらないものは後回しにしました。

すべてを守ろうとしないほうが、庭との距離は安定しました。

💡POINT
守る範囲を狭めると、崩れた週も越えやすくなります。

何度か崩れてわかったこと

何もできなかった週のあと、想像より庭は落ち着いていました。

植物は思ったよりたくましく、数日のズレでは大きく崩れませんでした。

それを繰り返し確認するうちに、焦りは少しずつ弱まりました。

崩れること自体が問題ではなく、崩れを許せない自分が苦しかったのだと感じました。

💡POINT
経験が増えると、不安は少しずつ現実的な大きさに戻ります。

戻るだけでいいと考えるようになった

無理に整え直そうとしなくなってから、庭への足取りが軽くなりました。

一週間空いても、ただ立てばいいだけだと思えるようになりました。

遅れを取り戻すより、関係を切らないことのほうが大事に感じました。

庭は急に壊れません。こちらが焦らなければ、関係は静かに続きます。

💡POINT
再開は「追いつく」ことではなく「戻る」ことなのかもしれません。

それでも予定は崩れる

今でも週末は簡単に崩れます。体力が残っていない日もあります。

それでも以前ほど慌てなくなりました。最低限を見る、できなければ次に回す、その繰り返しです。

完璧に回らない週があっても、庭との関係は壊れません。

あきらめることは終わりではなく、続けるための形の一つだと思えるようになりました。

💡POINT
「あきらめ方」を持っていると、崩れた週も怖くなくなります。

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