同じ庭なのに、ある日はひどく荒れて見えます。草がやけに目につき、整っていない場所ばかりが気になります。
でも別の日には、同じ景色なのにそれほど気にならないことがあります。少し伸びた草も、どこか自然に見えたりします。
庭の状態はそれほど変わっていないはずなのに、見え方だけが違います。
その違いは、庭そのものより、自分の側にあるのかもしれないと思うようになりました。
荒れて見える日と、気にならない日の差はどこにあるのか。少し立ち止まって考えてみたくなりました。
気持ちが整っていない日は荒れて見える
仕事が立て込んでいる日や、家の中が落ち着かない日は、庭も同じようにざわついて見えます。
少し伸びた草が、必要以上に大きな問題に感じられます。整っていない場所ばかりに視線が集まります。
本当は昨日とほとんど変わっていないのに、荒れた印象だけが強くなります。
庭が乱れているのではなく、自分の気持ちが乱れているのかもしれないと感じることがあります。
💡POINT
庭の見え方は、その日の気持ちを映す鏡のようなところがあります。
時間に追われている日は余白がない
次の予定が詰まっている日や、限られた時間で何かを終わらせようとしている日は、庭をゆっくり見る余裕がありません。
整っていない部分だけを急いで確認し、足りない点を数えてしまいます。
余白がないと、庭も「やるべきことの集まり」に見えてしまいます。
草は風に揺れているだけなのに、処理すべき課題のように見えます。
💡POINT
余白がない日は、庭も課題に見えやすくなります。
体力が残っていない日は評価が厳しくなる
疲れている日は、少しの乱れも大きく感じます。
普段なら気にならない程度の雑草が、どうしても目につきます。
整える気力がない分、現状を否定的に見てしまうのかもしれません。
本当は庭が荒れているのではなく、自分の余力が足りないだけなのだと後から気づくことがあります。
💡POINT
評価が厳しくなる日は、庭より自分の余力を見直すほうが近道です。
気にならない日は視点が変わっている
逆に気にならない日は、草よりも花の色や葉の艶に目が向いています。
整っていない場所より、育っている部分が先に目に入ります。
同じ景色でも、見る順番が違うだけで印象は変わります。
育っている事実を先に見つけられる日は、荒れた印象が薄れます。
💡POINT
見る順番を変えるだけで、庭の印象は大きく変わります。
完璧を求めている日は荒れやすい
理想の庭像を強く持っている日は、少しの乱れも許せません。
頭の中にある完成形と比べてしまい、足りない部分ばかりが気になります。
でも理想は固定されたままで、庭は季節とともに動いています。
理想を少し緩めるだけで、景色は急に柔らかく見え始めます。
💡POINT
理想の輪郭がはっきりしすぎると、現実は荒れて見えやすくなります。
距離をとると見え方が落ち着く
荒れて見える日は、少し距離をとってみることがあります。
近くで細部を見るのではなく、全体を眺めてみます。
全体で見ると、それほど崩れていないことに気づくことがあります。
一部分に意識が集中していただけで、庭全体が荒れていたわけではありませんでした。
💡POINT
近づきすぎると荒れて見え、少し離れると整って見えることがあります。
荒れと向き合う日も必要かもしれない
それでも、本当に手を入れたほうがいい日もあります。
気にならないふりをするのではなく、少しだけ整える日も必要です。
ただ、その基準を庭の状態だけで決めないようにしています。
自分の気持ちや余力も含めて、今日は整える日かどうかを考えます。
庭が荒れて見える日と、気にならない日の違いは、庭の中だけでは完結していませんでした。
💡POINT
庭の状態だけで判断せず、自分の状態も含めて見ると景色は変わります。


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